俺の憧れの男、白洲次郎の話

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「独立の晴れの日の原稿を、相手側の言葉で書く馬鹿がどこにいるか!」
 
1951年、サンフランシスコ平和会議の直前、白洲次郎はそう言って英語から日本語に、
独立文書を書き直させたと言います。
結果吉田茂は、日本語でスピーチを行うこととなります。
 

 

白洲次郎ってどんな人?

 
 
白洲次郎は、1902年に兵庫県で生まれました。
家は裕福でケンブリッジ大学に留学。親の経営する商店の倒産後に帰国し、実業家として家族を養っていました。
その後、駐イギリス大使だった吉田茂と面識を得て、総理大臣になった際には右腕として活躍。
平和条約調印を終え、吉田茂が引退してからは再び実業家としての人生を歩みます。
 
 
日本で最初にジーンズを履いた男としても知られてますね。
 
 
 
かっこよすぎるエピソードたち
 

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マッカーサーのプレゼント

 
終戦後、役職柄GHQとの対話が多かった白洲次郎は、マッカーサーの元へ昭和天皇からのクリスマスプレゼントを持って行きました。
しかし、プレゼントをもらいすぎて置く場所のないマッカーサーは、
 
「その辺にでも置いてくれ」と床を指さしました。
 
そのとき
 
 
「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か!!!!」
と怒鳴りつけました。あのマッカーサーに対して。
 
 
当時、こんぐらいの序列だったのに、です。
 
GHQからは、「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれました。
 
 
 

もっと上手くなりますよ。

 
 
 
ケンブリッジ仕込みのイギリス英語を使いこなす次郎。
アメリカの軍人から「英語が上手ですね」と言われてひとこと。
 
 
「あなたももっと練習すれば英語がうまくなりますよ。」
 
 
・・・・・クッソかっこええ。
 
 
とどめに、
 
白洲次郎の遺言は「葬式無用、戒名不用」
 
葬式せんでいい。あの世で使う名もいらん。ってことです。
白洲次郎の葬式は、かつての仲間たちの宴会になったそうです。
 
 
「プリンシプル」
 

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白洲次郎はよく「プリンシプルがなくてはならない」と言っていました。
訳すと「主義、信条」です。
いかなる状況でも、己の信条に基づいて行動せよということです。
軸がブレッブレのままの発言や行動は慎めということです。
 
相手がどんなに小物だろうと、アメリカだろうと、
己の信条のもとに思ったことをズバズバ言う。
この人は相手によって態度を変えたりしません。
かっこよすぎやしませんか?笑
 
 

この男のせいで俺は「プリンシプル」を定めた。

 
 
「一生夢を持ち続けてワクワクする人生を送る」
「ちびっこに夢を与える男になる」
 
 
基セミで熱く語りまくったこのセリフはここからきてます。
いわばこれが俺のプリンシプル。ヒッチハイクもその他の俺の企画も、この信条のもとにあります。
「たいき先生」企画なんてもうこれの最たるもんだ。笑
 
 
 
 
 
名言の数々
 
 
 
「お前、自分ではどう思うんだ?」
 
「人様に叱られたり、とやかく言われたくらいで、引っ込むような心臓は持ち合わせていない」
 
「日本の若い人に一番足らんのは勇気だ。自分の思う事を率直に言う勇気が欠けている。」
 
 
などなど。どれも心に刺さるかっこいいものばかり。
 
 
 
 
 
 
 
タイトル通り、白洲次郎は俺の憧れです。読んでくれた皆さんも「プリンシプル」持ちましょうね!!